稲津秀樹のプロフィール



初めまして! 僧侶・作家の稲津  秀樹(いなづ ひでき)と申します。

この度は、『稲津秀樹オフィシャルサイト』へお越しいただき、誠にありがとうございます。


おそらく多くの方は私の著書を読まれて、当サイトにお越しいただいていると思いますので、すでに私のことはある程度ご存知かと思いますが、このページでは簡単に自己紹介をさせていただきたいと思います。


私は岐阜県関市で育ち、子どもの頃は山に囲まれて過ごしました。

家庭はとても豊かとは言えるものではなく、お好み焼きの具がないために生地だけ焼いて食べることもありました。

そんな家庭で育った私は…

将来は、好きなものを好きなだけ食べられるようになりたい!


と思っていました。


そして年月は流れ社会人になった私は、好きなものを好きなだけ食べるために、本当に一生懸命働きました。

私は豊かな生活をするために、1日24時間のうち、できるだけ多くの時間を仕事に費やすことが、豊かな生活への唯一の道と信じていたのです。

毎日、積極的にサービス残業をして、休日も出社して仕事をしていました。

そしてその努力が実り、20代の後半には50代の人と肩を並べて、事業部の責任者まで上り詰めることができたのです。

給料も同年代の人より数倍はいただいていましたので、子どもの頃に決意した『将来は、好きなものを好きなだけ食べられるようになりたい!』という夢を叶えることができました。


ただこの時期から、心の中に『ある思い』が芽生えてきたのです。
その思いとは…

収入は申し分ないけれど、やりたい事をやる時間がない。
お金を稼いでいたとしても、やりたい事がやれない人生は、何と虚しいのだろう。

それに平均寿命が年々伸びている。
つまり人生において必要なお金が増えているという事だ。


でも頼りの年金は、少子化問題で言われているように、額は年々減っていくだろう。
もしかすると年金は破綻するかもしれない。

そうなれば、80歳を超えても働かなければいけない時代になるだろう。
やりたい事をやれず、死ぬ間際まで働き続けるなんて、人生の意味とは何だろう。

努力するのは嫌いじゃないけど、終わりのない努力は嫌だ。
どうすればこの生活から抜け出せるだろう?


私には、才能や特技がなかったため、同僚と同じ時間だけ働いていては、同僚より成果を出すことができませんでした。

だからこそ同僚が遊んでいる間に、私は遊ぶ時間を削って仕事をする事で、同僚よりも成果を上げていたのです。
私は同僚の倍近く働く事で、仕事で成果を上げ、収入面で豊かさを手に入れましたが、やりたい事をやる時間がなかったために、幸せではありませんでした。

私は自分の身体に鞭をうち、毎日の睡眠時間は3時間を切る状態で、馬車馬のように働き続けたのです。


そして30歳になった頃、とうとう体力的にも精神的にも限界がやってきました。いま思えば限界がやってくるのは、当然だと思います。

なぜならその当時は、事業部の責任者という仕事の他に、営業や心理カウンセラーの仕事もしていたからです。
これだけ働いていれば、身体に不調が出るのは当然です。


医師の診断は、『過労』と『自律神経失調症』でした。

私は仕事を休みたくはありませんでしたが、医師の強い勧めもあり、身体と心を休めるために、3週間の有給をとって、ひとり旅に出かけることにしたのです。

自宅で休んでいても良かったのですが、どうせ休みを取るのなら、非日常の場所で休みたいと思ったのです。


渡航先は、以前社員旅行で訪れた、インドネシアのバリ島でした。
初めての海外ひとり旅でしたので、とても緊張したのを今でも覚えています。

バリ島に着いてからは、ホテルのプールサイドでビジネス書を読みながら、のんびりと過ごしました。
そして後にメンター(恩師)となる、オーストラリア人のジャックと運命的な出会いをしたのです。


ジャックの第一印象は、年齢は私の親くらいで、何か気品が漂う紳士という印象でした。
最初に話しかけてきたのはジャックでしたが、話しているうちに私はジャックの人柄に惹かれていきました。

ジャックは複数の会社を経営する起業家で、バリ島には長期のバカンスで訪れていたのです。

私とジャックは意気投合して、3週間の休暇のほとんどをジャックと過ごし、帰国後も家族付き合いをする仲までになりました。
そして私は起業家のジャックの影響を、徐々に受けるようになったのです。

互いに国籍は違いますが、ジャックは私を本当の息子のように接してくれました。

そして幸せな自由人になるための

幸せな自由人の”4つ”の秘密


について教わったのです。


私は『ジャックのような幸せな自由人になりたい!』と願うようになりました。

ジャックが言うには、起業をしなくても幸せな自由人にはなれるとのことでしたが、『起業が最短の道』と言われていたので、私は起業をして最短で幸せな自由人になることを決意したのです。

ただ起業を決意しても、今の収入を手放す勇気が私にはありませんでした。
起業をしたいと思いながらも、ダラダラと今の現状(会社員)を続けていたのです。

でも運が良いのか悪いのかはわかりませんが、当時勤めていた会社が突然倒産をして、私の収入は0になりました。
その出来事があり、私はやっと起業に乗り出すことができたのです。


32歳の6月1日に個人事業主として起業をしました。

会社員が自動車の助手席に乗っているようなものであれば、私は32歳でようやく自分の人生という自動車の運転席に座ることになったのです。

会社員の時は、どこに向かうかは運転手である社長が決めていましたので、ある意味気楽な部分もありましたが、倒産という事故に遭ってしまいました。
私は自分で運転をしないリスク(自分の人生を人任せにするリスク)に気づくことができたのです。

私は助手席に乗っていても事故に遭うことがあるのなら、事故を避けるためにも運転手でありたいと思うようになりました。


起業をして最初の売上は6月の末頃でしたが、最初の3ヶ月は給料を得られるほどの売上はありませんでした。

でもジャックに教えてもらった『幸せな自由人の”4つ”の秘密を実践しているうちに、起業して4ヶ月目には給料を得られるようになったのです。

徐々に売上が伸び始め、個人事業主から株式会社に形態を変更して、関連会社も複数社設立し事業を拡大していきました。

起業をして3年以内に、支店が全国に数十箇所になり、従業員も100名を超えるほどに成長することができたのです。

私は起業して3年で、起業家として成功することができたのです。


ただここで大きな問題が起きました。

私の会社は、わずか3年で急激に成長したために、会社内の人間関係が強固なものになっていなかったのです。

私の著書の『幸せな自由人とまじめな不自由人(Clover出版)』に詳しく書きましたが、会社のNO.2の裏切りにより、会社を奪われてしまったのです。

NO.2とは家族付き合いをしているほどの仲でしたので、私は完全に心を許していました。会社の重要な印鑑や通帳などを預けていたのです。

後から分かったことなのですが、NO.2は最初からそれが目的だったようです。


私は本当に一瞬のうちに、今まで築き上げてきた約10億円の資産を失い、その上約1億5千万円の負債を抱えることになったのです。

当時、私は結婚しており子どもも2人いましたが、子どもに迷惑をかけることになると思い、話し合いの結果、離婚することになりました。


私は名誉とお金だけではなく、家族すら失ってしまったのです。
あの時は、本当に死にたいと思いました。

私をこんな目に遭わせたNO.2は、私が苦しんでいる時に、笑っていると想像するだけで夜も眠れない日々が続きました。
毎日泣いていました。

私はもう人を信用することができませんでした。
人を信用するから辛い思いをする。こんなに辛いなら、最初から人を信用しなければいいと思うほど、心が荒んでいたのです。


私は本当に死にたいと思っていました。
でも死ぬ勇気なんて私にはありませんでした。

でも今の場所にいたくはありません。
そんな時に脳裏に浮かんだのが、私を導いてくれたメンターのジャックだったのです。


私はジャックに会いにバリ島へ行きました。
私はジャックにすべてを告白し、数ヶ月の間、ジャックの別荘で色々な話をしました。

そして少しずつ荒れた心が以前のような落ち着きを取り戻していったのです。


バリ島では運命としか考えられないような出会いが数多くありました。

最初は私の心理学の知識を買われ、マヘンドラダッタ大学(Universitas Mahendradatta)の教員向けに講師をする機会が増えてきました。

そして数回ほど講師をした頃に、学長からお声がかかり、一緒に食事をすることになったのです。

※下記の写真の一番右にいる男性が学長で対面に座っているのが私です。
※個人情報保護のため許可を得ていない人はモザイクをかけています。



その後、学長と意気投合をし、一般には公開を許されていない貴重なものを見せて頂ける仲にまでなりました。

※下記の写真の一番右にいる男性が学長で左から二番目が私です。
※個人情報保護のため許可を得ていない人はモザイクをかけています。



そして一般公開されていない場所に特別待遇で入った外国人として、新聞にも載りました。

※下記が新聞に載った写真です。
※横の男性は学長です。



そして大学への貢献が認められて、国際講師(International Lecturer)の称号もいただきました。

※一番上の写真は、国際講師授与式でメダルを頂いている写真。
※二番目の写真は、国際講師の授与のための署名をしているところです。
※三番目の写真は、国際講師授与式の記念写真です。
※四番目の写真は、国際講師授与式後のスピーチをしている写真です。
※個人情報保護のため許可を得ていない人はモザイクをかけています。



またバリ島のヴィハラ ダルマヤナ クタ仏教寺院(Vihara Dharmayana Kuta)の僧侶であるロモ氏と交流を持つようになり、ロモ氏の人柄に惹かれて、40代で僧侶として出家をしました。

そして僧侶としての活動が認められ、名誉僧侶の試験(筆記・実技・面接)を受けられることになり、所属する仏教寺院で初めての外国人として名誉僧侶にもなりました。

※一番上の写真は、筆記試験で頭を抱えているところの写真です。
※二番目の写真は、実技試験の時の写真です。
※三番目の写真は、面接試験の時の写真です。
※四番目の写真は、名誉僧侶の称号をいただいた時の写真です。
※五番目の写真は、名誉僧侶認定書の写真です。



私は人間不信から、バリ島に渡り、このような運命的とも言える出来事がたくさんありました。
いま思えば、心理学でいうシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)であると分かりますが、当時は運が良いだけと思っていました。

話は前後しますが、名誉僧侶になるまでの修行時代と並行して、私は人間不信を克服して、起業家として再起を果たしました。

会社は奪われてしまいましたが、ジャックから学んだ『幸せな自由人の”4つ”の秘密』は無くなることはないのです。

そして私はわずか2年で、1億5千万円の負債を完済して、以前より多くの収入を得ることができるまでになったのです。


このような流れで、私は『幸せな自由人』になることができました。

現在私は40代後半に入りましたが、本当に色々な経験をしてきました。
中には辛いこともありましたが、今では私を騙したNO.2にも感謝しています。

なぜならあの出来事がなければ、私は仏教寺院の名誉僧侶にはなっていなかったと思えるからです。
あの出来事があったからこそ、私はお金ではなく、本当の幸せを見つけることができました。
幸せな自由人になることができたのです。

すべては必然とはこのことだと思います。
そして私が『幸せな自由人』になって、一番良かったことは…

やりたい事を、やりたい時に、やりたいだけやれる


この状態になれたからです。

まだまだ学ぶことはありますが、子ども時代に夢見た環境を手に入れることができたのです。

そして幸せな自由人になるために、大切なことは…

①人間関係の自由:誰と付き合うかを選べる自由のこと。
②お金の自由:お金のことを考えないで生活できる自由のこと。
③時間の自由:1日24時間を自分らしく使える自由のこと。
④場所の自由:好きな場所へ好きなだけ行ける自由のこと。
⑤健康の自由:健康を維持することで長く人生を楽しむ自由のこと。
⑥観念の自由:自分軸で生きるための観念を選べる自由のこと。


私はジャックから、『幸せな自由人の”4つ”の秘密』を学ぶことで、上記の6つの自由を手に入れました。


そしてその結果、私は幸せな自由人になることができたのです。

今では普段は沖縄で過ごし、名誉僧侶の仕事の時はバリ島へ飛ぶするという、本当に自由な生活をしています。

また2017年からは講演家としての活動、2018年からは作家としても活動しています。

以上が私の簡単なプロフィールとなりますが、もう少し詳しく知りたい方は、私の著書の『幸せな自由人とまじめな不自由人(Clover出版)』を読んでみてくださいね。


また私は実名で活動しておりますが、作家の中にはペンネームを使う人もいます。ビジネスにおいても実名ではなくビジネスネームを使う人が増えています。

もちろんこれらは法律的には問題ないのですが、私は実名で顔出しすることが誠実さの証と考えています。

そこで私が本名で活動している証として、日本の運転免許証とバリ島の運転免許証を開示させていただきます。

※一番上の写真は、日本の運転免許証です。
※二番目は、バリ島の運転免許証です。

稲津秀樹オフィシャルサイト:https://inazuhideki.com
LINE ID:@inazuhideki
Facebookページ:https://www.facebook.com/inazuhideki/


また私のポリシーは、『すべての人と対等な関係を築く』です。

私の職業柄、先生と呼ばれることが多いのですが、私は先生と生徒という上下関係ではなく、対等な関係を築いていきたいと考えています。

ですので先生ではなく、HIDEさんと読んでくださいといつもお願いしています。

そして対等な関係を築くためには、まずはありのままの私のことを知っていただくことが大切と思っています。
そのために普通なら公開することがない、運転免許証まで公開させていただいたのです

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
稲津秀樹オフィシャルサイトが、少しでもあなたのお役に立てれば嬉しく思います。

2019年12月18日 水曜 22時06分
自宅の書斎にて
稲津秀樹オフィシャルサイト:https://inazuhideki.com
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家族公開!
娘が妻を捕まえた瞬間です。
この写真の公開が妻にバレたらと思うとドキドキします( ´ ▽ ` )

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