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瞑想と中道の関係  

 

かりの
 かりの
参加: 12か月 前
投稿: 11
2020年1月26日 9:00 午後  

HIDEさん、こんばんは。

Rice Cakeチャンネルでヴィパッサナー瞑想すると幸せで意識が爽快(@1/18お話し会)とか、堺が無くなって誰もを愛おしく感じる(@より古い動画)、のような発言に関連しての質問です。

中道に入るとジャッジしないから幸不幸も(判断し)ないし、好き嫌いもないので「幸せ爽快な瞑想状態は中道に入っていない」のか、それとも「瞑想中は判断無だが、瞑想後に思い出して感じた言葉だから違う」のか、どうなのでしょう?

もっと言えば"瞑想で幸せ"という表現は下のグループAとBが同じ感覚でしょうか?
【グループA】
(1)HIDEさんが人間関係の相関図などで説明している、プラスマイナスの座標で真ん中、ゼロの原点が中道
(2)お釈迦様が中道を弦楽器の弦の張り具合に例えた話(ゆる過ぎもキツ過ぎもダメ、適度な遊びが必要)
(3)弦の具合から言い換えると「良い塩梅」つまり味加減は丁度良い(濃くも薄くもない)
【グループB】
(4)小さい子供は下着姿でも恥ずかしいと感じないのはその観念がないから
(5)納豆を好きとも嫌いとも思わないのは知らないとか興味がないから


引用
稲津秀樹
参加: 3年 前
投稿: 741
2020年2月3日 11:29 午前  

かりのさん、こんにちは!HIDEです。
ご質問ありがとうございます。

ヴィパッサナー瞑想をすると多くの場合、仏教でいう中道に入ることができます。
そして中道に入ると『幸せ』になるものなのですね。
おそらく中道に入ると無になると思われているのかもしれませんが、そうではないのですね!

またグループAは中道と言えますが、グループBは中道とは言えないですね( ◠‿◠ )


返信引用

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